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長野県



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市町村数がやたら多い県です、覚えきれません・・・・
長野県はとてもお世話になっている県のひとつであり、これからも何度も通うことになると思います。
それだけ見どころの多い県であり、単にスキー場が多いというだけでなく、いわゆる自然遺産が多く残る地であると言える。
今回のこの長野県レポートでは、数ある県内の観光スポットを始め、私の一押しを紹介させていただきたいと思う。

北海道・岩手県・福島県に続き4番目に大きな面積を有する長野県は、南北に長い形をしており大きく3つに分けることができる。

地図で見て上のほう:長野市・飯山市・白馬村エリア
地図で見て中央付近:佐久・小諸・松本・塩尻エリア
地図で見て下のほう:恵那・飯田。阿南エリア

どのエリアも魅力満載であり、観光地として有名な場所はもちろん、訪れるたびに新たな発見がありどんどん好きになっていくのが長野県のいいところ。



佐久パラダ  http://saku-parada.jp/

ここは長野自動車道の佐久平ハイウェイオアシスより直接訪れることができ、同園の最大の特徴となっている。
スマートインターチェンジがあるので一般道に下りることもできるが、ここで遊んだ後にそのまままた高速道路に乗ることができる(逆へ折り返しはできない)


高原にある関係で空がきれいに撮影できる。気分的にも荒々しい碓氷峠の山間部を抜けた後に現れる開放的な光景に高揚する。


園内は様々な遊び場があり、一日中いても飽きない。入園料が無料というのもあまり他に類を見ない気がする。
上の写真は魚のつかみ取りの様子と、採った魚をその場で塩焼きにした図。ちょっとしょっぱかったが大満足です。


子供のいる家庭にはお財布にも優しく、きっと満足していただけると思う。


蓼科湖

すぐ近くに白樺湖があり、そちらのほうがメジャーな存在なので、この蓼科湖はあまり知らない方も多いのではないだろうか。
私の第一印象としては「高原の避暑地」という感じがした。
湖畔にいくつかの食事処やお土産があるものの、そんなに人が多いわけでもなく、著名な観光スポットは湖畔の(小規模な)遊園地や蓼科ロープウェイくらいだろうか。


チロルの森  http://www.tirol.gr.jp/map/index.html

こちらもお子さんがいる家庭やカップルにはおススメしたいイチオシスポットです。
ヨーロッパのアルプスを彷彿とさせる造りに数々の体験コーナーや動物とふれあえる「ふれあい広場」などがあり、大人でも楽しめる。


園内が広いのでエリア間の移動は汽車を使うとよい。でもこれ、早歩きくらいの速度しか出ないのでせっかちな人には合わないかもしれません。
ふれあい広場には三つ編みの馬やイイ顔の馬がいて人参をあげたりできます。


ユーモアを感じさせる工夫が随所に見られた。



遠山郷(天空の隠れ里)・しらびそ高原・大鹿村
まさにベストオブ秘境と言っても過言ではない 「遠山郷」 です。
この地に住んでいる方がこのホームページを見ていたとしたらすごく失礼かもしれないがやはり秘境である。
http://www.tohyamago.com/tohyamago/index.html
なんだか↑このページの画像を見てたらいてもたってもいられなくなってきたので行ってきました。
この遠山郷は別名「天空の隠れ里」と称される集落があり、あり得ない標高の場所にあり得ない傾斜地に住んでいる方々の集落。

どうでしょう?写真だけで秘境度が伝わるだろうか。
この写真を撮るには最寄りの駐車場から20分登山道のようなところを歩く必要がある。


狭い道なので人とすれ違う時は止まってあげないと結構危険です。
でもあと「何メートルです」とか、杖が置いてあったりと、地元民の温かい心遣いがひしひしと感じられます。
この歩道の整備も住民がやったということだからすごい。本来ならば公共事業レベルだと思う。


先ほどの写真から見える「隠れ里」部分ですが、激しく蛇行して高度を稼ぐ道路と斜面にへばり付くように建てられた家屋が印象的です。
どの家からも素晴らしい山の景色が堪能でき、都会の喧騒など微塵も感じられない。
人工物は必要最小限であり、ふと歩みを止めると風の音しか聞こえない。
この集落は冬はもちろん閉ざされてしまう。一体どのように生活をしているんだろう?ほぼ完全なる自給自足ができないと冬を越せないかもしれません。


この地の正式な名称は「下栗」といい、唯一(だと思う)の店が観光客向けに作られたこの「はんば亭」である。
ここの駐車場から歩いて先ほどのビュースポットに行くことができる。標高が高いのでかなり寒かった。


さきほどの天空の隠れ里からさらに登ること数十分でこのしらびそ峠に到着する。ここにはかつてあった森林鉄道の遺構を見ることができるが実際はもう少し下界にあったと思われる。


長野県にはその昔多くの森林鉄道が走っており、昭和初期には最盛期を迎える。その後、林道が整備されてトラックによる代替輸送に切り替わると昭和40年代から徐々にその姿を消していくのであった。
右の写真はしらびそ高原ロッジという観光客用の宿泊施設&食事処ですが、南アルプスを制覇せんとする屈強な登山者達の登山基地という側面もある。
この場所を基点として赤石山脈の峰々にアクセスすることができるが、光岳や聖岳をはじめとする南アルプスはどうしても数日を要する工程となるため、日本の高山の中でもかなり上級者向けの山となる。


今いるこの場所がどうゆうところなのか、少し図で説明しようと思う。下の図をご覧いただきたい。

今いるしらびそ高原は赤石山脈の中央やや南側に位置しており、車による登山口へのアクセスは他に選択肢が少ない。
一応寸又峡や畑薙ダムあたりからのアクセスも可能ですが一的にはここが光岳へは最寄りの登山口になると思う。
あまりに険しい地形ゆえ道路や鉄道等が一切存在せず、未だに前人未到の領域が多いのも頷ける。
さらに中央構造線があり、断層も多いため頻繁に落石や地すべりが起きており、少し雨が降るだけですぐにこのあたりの道路は寸断されてしまう。
ちなみに現在地から最寄りのコンビニまでは車で2時間以上かかる


しらびそ高原からさらに北上すると地蔵峠を越えて大鹿村に入る。
国道152号線は2か所に渡って点線国道となっているマニアには有名な酷道である。


また、このあたりはジオパークになっており、地学的には著名な場所である。断層のズレを地表で確認できる数少ない場所でもある。


中央の写真の真ん中辺りを境に地質が全然違うのがお分かりいただけると思う。まさにこれが地表への露頭なのである。


地学に興味のある方は大鹿村にある、この中央構造線博物館に立ち寄ってみてはいかがでしょうか。


この分杭峠を超えると伊那・高遠となり、大鹿村はここまでである。
この峠は近年「気場」としてとある週刊誌が取り上げたことにより、パワースポットとして有名になった。
以前来た時は峠に車がビッシリ路上駐車してあり通り抜けるのに難儀したが今回はほとんど車は見えなかった。
シャトルバス制にしたようで、それはそれでありがたいが、下の寂しい峠に戻ったという印象の方が強い。
それにしても「ゼロ磁場」という現象がこの場所で検出されるようですが、そのメカニズムがよくわからなくてちょっと怖い。


秋葉街道の紅葉
ザ・紅葉←撮影地はここ
この152号線は普通の方は通らない道です。
わざわざこの国道を選んで走る人は地元の方か秘境好きな方ではないだろうか。
そう、152号線は地形的に断層が多く見られる地殻が不安定なライン。よく土砂崩れが起きるので運が悪いと通行止めなことがあります。
先ほど紹介した県道1号もそうですが南信州の東側は特に難路が多いことで(その道の人々には)有名です。

この紅葉は目を疑うほどに美しい。とても言葉で表現できるようなものではなく、できれば読者の方々も一度は訪れてみていただきたい。ヒョー越峠の近くです。
10月後半くらいから11月初旬にかけて見事な紅葉の景色が出迎えてくれることでしょう。
では無圧縮な写真を一枚!
ああ、また行きたいなー
あまりの狭さで一方通行となっているトンネルを抜けるとそこは・・・・・

右の写真の国盗り公園に関してだがここは兵越峠と言って、その昔甲斐の武田信玄が駿河の今川家を攻める際にこの峠を通ったとされる由緒正しき峠なのだ。地図によっては「ヒョー越え」と書かれている場合もある。ここは長野県と静岡県の県境であるが、その県境を綱引きによってきめているユニークな場所だ。
毎年決まった時期に力自慢の県民たちと県知事などのお偉い方々も集まって綱引きを行う。勝った方は相手の国(県)へ1メートル侵略できるというわけだ。でも結果はいい勝負なようでほとんどイーブン。長野県側は目標が「長野県にも海を!」ということらしい。確かに長野県はこれだけいろんな名所があるが海がない。日本で海がないのは栃木・群馬・埼玉・長野・岐阜・滋賀・奈良の7県のみ。長野県が本気で海を目指すというのなら浜松の沿岸までの70キロを目指すのが最短。
1回勝つと1メートルだから長野県が海に到達するならば70キロ=70000メートル→最短で行くには7万連勝する必要がある。つまり7万年後。天文学的な確率で西暦72010年に海に到達できていることでしょう。


天竜峡


この天竜川沿いの県道1号線は長野県・愛知県・静岡県の3県の県境を貫いており、日本屈指の秘境地帯として私が大変気に入っている場所である。もう何回ここに来たことだろう。わざわざ遠回りしてでもここを通って帰ることもある。
それだけ不思議な魅力があるエリアなのだ。そしてこの天竜川こそがその後の私を形成していく上で重要なキーワードとなるわけです。私にとってはここがパワースポットなのです。

通常は長野県の中部エリア(松本・岡谷・塩尻)から秦野に帰るのにこの道は通らない。もし飯田氏を経由して浜松に抜けるとしても257号線や151号線を通るのが普通。
ではなぜわざわざ県道1号線というマイナーな道を選んだのか。それはここの地形図を見てみると面白いことがわかる。

ちょうどこのあたりが3県の県境付近です
雄大な天竜川を挟むように県道とJR飯田線が南北を走っています。道路の方はさほどトンネルは少ないがJRの方はトンネルだらけです。このあたりが険しい山岳地帯ということも関係してくるが線路は道路に比べてあまり急カーブにすることができず、勾配にも限度があるため迂回ができず直線でトンネルを貫くという線形を辿っている。
おそらく道路の方もさぞかしすごい道なのだろうと通ってみることにしたのがすべての始まり。
実際に通ってみたところその秘境っぷりに激しく感動しました。ここには以前愛知県富山村という日本一人口の少ない村が存在していた歴史がありますが、今は平成大合併の影響で近隣の町に吸収されてしまって富山村は今は存在しません。
ここにたどり着くまでに飯田市から約2時間。そしてここから浜松まで出るのにも2時間。まさに陸の孤島なのである。
私はこの村のことが気になって帰ってから調べてみた。どうやらこの街への郵便物は大嵐駅から運ばれてくるらしいです。でも大嵐駅は静岡県であり行政区分も全く別物。それでもここから郵便物を配達しているのは他に交通手段が著しく乏しいからであることに他ならない。乏しいと書いたのは、ここに至る道がないわけではないという意味です。一応道はありますがしょっちゅう崖崩れなどの自然災害で通行止めとなってしまい、本当の陸の孤島となることが多い。私もここを通りたくて来たのに国道へ迂回させられたことも何度もある。

ではなぜそんなに自然災害が多いのか?
その原因を地学的な観点から紐解いていきたいと思う。

そもそもこの天竜川の東側は「フォッサマグナ」と呼ばれる大地のプレートとプレートの境界がある場所として知られており、地質学的に見てもとても不安定な地質なのである。
つまり地中を通るトンネルの多い鉄道はその被害を受けにくく、迂回して地上を走っている道路は崩落の危険性が高く崖の崩落などの被害を受けやすい。
だからこの村は大嵐駅の存在がとても重要なのだ。
全国的に多くのローカル線が廃線に追い込まれている中、JR飯田線が健在なのはそういった事情があるからなのかもしれない。


飯田線はおおぞれ駅からみさくぼ駅にかけて長大トンネルで結ばれている。
そしてさくま駅からあいづき駅までも長大トンネルで結ばれている。そのまま直線で結べばいいものをなぜか東側に莫大な費用をかけてまでトンネルを掘り抜いている。

でもこれは調べていくうちにすぐに答えが出た。

昔はちゃんと「直線」でつながっていたのに、佐久間ダムを建設するにあたって電力会社のお金でわざわざ迂回させたという経緯が浮かび上がってきた。
それはもしかして・・・・・。そう、この佐久間ダムを建設することによって飯田線の旧線はもちろん、そこにあった集落までもがダムの底に沈んだのだ。しかもこのダムの両側に走っている県道のうち私の好きな県道1号線は近年できた新しいルートであることも分かった。実は対岸には県道288号線という道路も記載されている。
しかしこの県道はれっきとした廃道であり、車はもちろん、人間も通ることはできない。ただ、この県道を踏破したツワモノの存在も中にはいるがお勧めはしない。廃道レベルはMAXに近い。

飯田線旧線の遺構

そんなわけでこの天竜川の富山村一帯は私に地学・鉄道・廃道・廃線・補償問題など、いろいろな分野に興味を飛び火させてくれた特別なエリアでもある。何を感じるかは人それぞれだと思うが是非一度は行ってみていただきたい。
もしこのレポを見てこの場所に踏み入れることがあれば、車のガソリンが半分以上入っていることを確かめてから挑んでもらいたい。ガソリンスタンドやコンビニ・自販機に至るまで何もないので物資の補給は期待できません。



話がだいぶそれました。

お次は諏訪エリアへと移動です

これは長野県の諏訪湖です、冬になるとこの通り湖面が凍りつくことがあり「御神渡り」と呼ばれる現象を見ることができます。
←よい子はマネしないでください
この写真は中央自動車道上り線の諏訪湖サービスエリアから撮影したものです。このサービスエリアは温泉があるのでスキー・スノボの帰りにはよく利用します。

このあたりには諏訪大社や白樺湖・美ヶ原など観光地が集結していますのでこのあたりの宿を拠点にして観光に回る方も多いようです。

このエリアに来ると観光客はたぶん諏訪大社を観光するのではないだろうか。
温泉も多いし諏訪湖の湖畔は旅館やホテルがたくさんあります。

普段は自然モノを好んで旅をしていますが、この上の写真の諏訪大社の時は会社の社員旅行で訪れたものです。昔は自然モノも文化モノも分け隔てなく見て回った。しかし最近なんだか自然モノに傾いてきているような気がする。

それはなぜか?自然モノは時間の制限がない。文化モノは事前の調べでそれがどうゆう場所なのか分かってしまいあまり感動が少ないのだ。
それに比べて自然モノは夜以外は何時に訪れても大丈夫で自由度が高く、事前情報で仕入れられる情報は少ないと言える。実際にその場所に行ってみてその場所がどういった理由で成り立ったのかなどを調べることによってよりその土地に愛着が沸き、その後の探索に繋がっていく。

これまで日本全国いろいろな場所を旅しているうちに、段々と行くところがなくなってきたなどと思いあがっていたがそれは大きな間違いだった。それは間違い。
なにも地図に載っている観光地だけがターゲットではない、ターゲットは自分で現地に赴き発見することで見つけていくのもアリなのだ。


ところ変わってここは八ヶ岳山麓、南牧村です。

ここはJRの駅の中で標高が一番高い駅、野辺山駅周辺です。

駅の周りにはSLが展示されており中に入ることができます。普段なかなか見ることのできないSLの運転席。
ゴツゴツしている無骨な姿は男性ならみんな興奮するんじゃないかと(笑)

駅から清里側に南下すると宇宙観測の施設があります、何をやっている施設なのか忘れてしまったが敷地内に入れるし建物の中に入って見学することもできる。何度か行ったことがあるかいつも人は少ない、休日でも穴場かも。

ちなみに先ほどJR最高標高の駅「野辺山駅」を紹介しましたが、この駅から清里方面に数キロ行ったところにJR鉄道最高地点があります。
ここも観光地化されており撮り鉄たちのスポットになっているようだ。


これらの写真は上田市から美ヶ原を抜けて岡谷に至る道の途中で撮影したもの。
放牧された牛が田舎っぽくていい雰囲気。


上の写真は蓼科高原にて撮影したもの。冬場はスキー場になりますがシーズンオフでもロープウェーで山頂まで行くことができます。

また、麓には子供が遊べるようなメルヘンチックな小型遊園地もありました。

この近くの高ポッチには動物に触れあえるスポットもある(名前忘れました)

いろいろな動物たちにふれてきましたがすべて草食系?でした。




場所が変わってお次は県北部、新潟県との県境に近い野尻湖からスタートです

野尻湖と段々畑

信濃町の小学校と信越本線のまっすぐな線路
レトロ!ノスタルジック!特にこうゆう木造校舎はいいですね


お次は日本3大車窓の一つ、姨捨山!

JR篠ノ井線の姨捨駅から見下ろす長野盆地は日本三大車窓に数えられております。写真は昼間ですが夜の夜景は素晴らしいと評判です、是非長野まで鉄道でくることがあればたったの2駅なので来てみてはどうでしょう?
ちなみにこのJR姨捨駅は現役のスイッチバック駅でもある!鉄っちゃんが泣いて喜ぶすごい駅なのだ。
でも姥捨というのは悲しい伝承の残る地でもあります。
地名にもなっている姨捨山は、その昔貧しい暮らしを虐げられていた農民が、働けなくなった老婆を山へ捨てに行くという悲しいお話なのです。子供の頃に日本昔話というアニメで見たことがあって「おとぎ話し」だと思ってたら実際にあったんですね・・・



お次は「滝」になります。

滝の名前で有名な滝はどんな滝だろう?
華厳の滝・那智の滝・袋田の滝・龍頭の滝・洒水の滝・原尻の滝などなど。でも白糸の滝も忘れてはならない。
なんせこの白糸の滝は日本国内に同名の滝が分かっているだけでも少なくても4箇所以上存在するという。
今回紹介する白糸の滝は長野県版の白糸の滝になります。
「滝」ではなく旧字体の「瀧」というのが味わい深い

ちなみにこの滝は軽井沢から車で30分くらいだろうか。草津方面に向かうメインルートからマイナーな道にそれてだいぶ進んだところにあった気がします。

軽井沢の町並みは相変わらずです。

いつ来ても場違いなオシャレな町並み。皇族の避暑地と言うことで昔から賑わっております。
でもこんな本来暮らすには不向きなこの地区にこれだけ活気があるということは何かしらの魅力に取りつかれた方も多いのだろう。
軽井沢と言えばだれでも知ってる。少なくても聞いたことはあると思う。
・・・・・でもこの軽井沢からそれほど遠くない場所にここと同じような雰囲気のエリアが存在した。
「存在した」と過去形にしたのはワケがある。でもそれがどこなのかは長野じゃないから書きません。勘のいい方は分かるかも?


白馬の夏


スキー場はなにも冬だけ遊べるスポットではありません。夏だってちゃんと営業してるんです、スキー・スノボはできませんが(笑)

こんな風に避暑地として有効活用されております。リフトやゴンドラは意外と動いているところも多い。登山客や高山植物を楽しむ方などが利用しています。白馬エリアはぬかり無いです。

キテレツなチャリたち

白馬47スキー場(はくばふぉーてぃーせぶん)では林間コースを利用したモトクロスが楽しい、さっそく私もチャリを借りてゴンドライン!

ゴンドラに乗っている途中、眼下に林道コースが見えた!これからここを走るんだと思うとワクワクしてくる。
いつも冬の間はこの林道コースを滑り下りてるのでなんだか不思議な感じがした。
そういえばゴンドラを降りたところに宇宙人がいたので撮影してみました。

良くできたエイリアンとプレデターである。金属むき出しというのがターミネーターっぽくも見えなくはない。


自転車は乗ってみると意外と面白い。もちろん普通の自転車はたまに乗ることもあるがこうゆうモトクロス?っぽいのはそうそう乗る機会は無い。
実は林道コースを激しくチャリで2輪ドリフトを決めている動画がある。
slip.wmv
↑かなりクールにドリフトを決めた!
ウソです、すいません。この時は後からジワジワ背中が痛かった・・・・(-_-;)


お隣の白馬八方尾根スキー場では長野オリンピックで実際に使われたジャンプ台を間近に見ることができた。でもテレビで見るのと違いこうして見てみるとなんだが寂しい感じがする。
八方尾根スキー場は他のオリンピック種目でも使われており、実際にそのコースを滑ってみたが、なんだか選手とレースしてみたい衝動にかられた。

この時はこの宿に一泊した。なんとも親切な方々でした。



テントや野宿、車中泊もいいがたまには宿もいい。大勢で泊まるときはペンションとかロッジを貸し切りにすると大変オトク!
一人いくら ではなく一棟いくら という風になるためワリカン勘定なら人数が多ければ多いほどお得なわけである。例えば下の写真みたいなロッジに6人くらいは泊まれる

正直に話すとこうゆうところは最新設備だとか快適さとは無縁。そうゆうものを求めるなら最初から山の中のロッジは視野に入れてはならない。
なぜなら夜は虫の声がうるさく、当然わけのわからない虫がうじゃうじゃいる。
クモ・ゴキブリ・やたら足の長い昆虫・色鮮やかな羽をもつ何か・・・・・
もちろん多少なら許せるが私も嫌いなものはある。それは高速で動く昆虫。巨大なクモが高速でこちらに近寄ってくるのがもうトラウマになってしまっている。

虫の話の後で申し訳ないがこうゆうところは食材は全て持ち込みです

夕食は自分たちで持ち込んだもので何とかするのが鉄則です。最近のオートキャンプ場などは電気ガス水道はもちろん、鍋やガスコンロの貸出しや薪や着火剤に野菜・肉・・・・なんでも揃っている場所もある。
確かに雰囲気は楽しめて荷物が少なくても済む。でもなんか味気ない。物足りない。
薪や着火剤がなくても現地で調達すればいいし時には水すら川で汲めばいい。そうゆう困ったときの創意工夫ができるようになればアウトドアの楽しみはどんどん大きくなっていくと思います。


第30回全国新作花火競技大会
これは例年9月の第一土曜日に開催されている若手による新作花火の競技大会です。

上諏訪駅の近くに桟敷席が用意されているが、ものすごく混雑するという事前情報を得ていたので、あえて諏訪湖の対岸から鑑賞することにしました。
湖岸から1mのところにレジャーシートを広げ横になりながらの鑑賞はとても贅沢なひとときでした。


対岸からの鑑賞でしたが、それでもとても綺麗に見え、それほど帰りも混雑に見舞われることはありませんでした。今度また行くことがあったら対岸からの鑑賞にしたいと思います。
花火のほうは、さすがに新作の花火というとこもあり、見たこともない四角い花火やハート型の花火、地上から連発して打ち上げられる花火等バラエティーに富む面白い花火が多かったという印象です。
以前、秋田の大曲で職人さんたちによる花火大会を見たことがありますが、あっちは豪華絢爛で80万人もの観客数を動員する大規模なものですが、こちらは20万人ほどの規模のもので、夏休みが終わった次の土曜日ということもあり、人足はそれほどでもない様子です。
ただ、毎年8/15に行われる諏訪湖祭湖上花火大会に関しては50万人規模の花火大会であり、こちらは大曲の花火にも引けを取りません。


今回は、湖の漣線ギリギリのところに陣取った関係で、湖上に写る反射した花火がとても綺麗でした。
なお、今回掲載している写真の数々は私が撮ったものではなく、私の兄が高そうなカメラで撮影したものを流用させてもらってます。
私のカメラで撮った写真はあまりにも情けないので今回は載せませんでした。



上高地

上高地はもう説明の必要がないほどの有名な観光地であり、特に海外からの観光客が多い。国の特別天然記念物に指定されており、付近の標高は1500メートルにも達し、過酷な環境下に開かれた。神垣内と書いてかみこうちとかつては読んでいたが現在では「上高地」の方が一般的となっている。

10年くらい前から上高地は一般車が進入禁止となってしまった。
環境保全という見方や駐車場が少ないという実態もあるがもう一つ理由がある。それは上高地に至るまでの道にある。
中央の写真は上高地から松本側まで5キロほど戻ったところにある駐車場である。
マイカー規制が敷かれているのでこのあたりからバスかタクシーを使う必要がある。
多くの方は新島々の駅からバスに乗ると思いますが、ここまで車で来てしまってからバスに乗る方が時間的には早い。
ちなみに4人以上であればタクシーを使った方がオトクなのでケチらずにワリカンで乗ってしまった方がいいだろう。

マイカーが通れないこの道は、新釜トンネルといい、上高地へ続く唯一の道。ここが寸断されれば上高地には観光客が取り残されることになる、実際に過去に土砂崩れなどで取り残されたこともある。
このトンネルはつい最近出来た「改良版の新しいトンネル」ですが、以前は幅も狭く、傾斜が異常なほどに酷い滑りやすいトンネルを通るほか有りませんでした。


上高地の悲劇

昔の夏場の上高地はそれはそれはマイカーでごった返しており、トンネルの手前は20分ほど待たされる信号機もあったという。
傾斜が凄まじいため坂道発進が苦手なドライバーや非力な車はかなり苦労すると思われ(昔はオートマなどはなくみんなMT車だった)、片側交互通行だったので、一度止まってしまった非力な車再発進に苦労する。
坂道発進をスムーズにこなす必要があり、すぐ後ろには渋滞でイライラする車が見ている。運転経験の浅い女性のサンデードライバーなどが遅れをとるとさあ大変。上高地から下ってくる車が片側通行のトンネルにどっと押し寄せ、最悪の鉢合わせが発生。
先に進むことも出来ず、後ろに進むことも出来ない。上高地側から下ってきた車にバックで戻ってもらうわけにもいかず、後ろでずっと待たされていた上高地に向かう車たちもそう簡単には引き返すわけにはいかない。
原因を作ったドライバーは顔面蒼白で、周囲にはクラクションや怒号が飛び交い、一種の交通マヒの状態を形成するという大惨事。
こんなことが日常的に起こっていたようでマイカー規制になったのは仕方なかったと思う。
現在は新釜トンネル(通称:釜トン)が開通し、2車線で観光バスも通れるサイズになったものの凄まじい勾配は変わっていない。



大正池でタクシーから降り、ここからは徒歩で河童橋を目指す。
すごい綺麗な水の色ですが、この大正池は昔からここにあったわけではなく、対岸に見える「焼岳」の噴火によって出来た池なのである。

その焼岳ですが山頂をよ〜く見ると噴煙が上がっている。まさか今また再び噴火の兆候があるのではないかと心配してしまった。


大正池を過ぎる梓川に沿って河童橋方面へと向かうことになるが、4月末のこの時期はまだ雪が溶けておらず、この日も実際に雪が降っていた。都心では半袖でもいいような陽気が訪れつつある季節に対してこの辺りは標高1500メートルという過酷な条件のおかげでまだまだ冬らしい光景を醸し出している。

水がとにかく綺麗である。
この先にある穂高岳や焼岳からの雪解け水だと思うが、もし晴れていれば水面がキラキラ光ってもっと綺麗な写真が撮れていたと思われる。


左の写真奥に見える山が3190メートルの穂高岳である。いつか登ってみたいと思うがまだまだ登山技術と経験が浅い私には無理。
3000メートル級の山は富士山と乗鞍岳しか登ったことがないが、単純に山の標高と難易度は一致しない。穂高岳に登るにはどう考えても日帰りでは無理であり、この上高地から山小屋に泊まりつつアプローチするのが一般的だ。
真ん中の写真には「ウエストン碑」の説明文が写っている。このウエストンという方は明治期に日本の様々な山に登り、日本近代登山術をもたらした英国紳士なのである。上高地の歴史は明治時代にまでさかのぼる。


ウエストン碑から先は車も通れる砂利道をひたすら歩く。途中、猿に齧られた木や水鳥等を横目に見つつついに河童橋に到着。


これが河童橋の全貌である。本来は観光客でごった返す場所だが、こんな時期に上高地に来る人はまばらであり、多くの店は閉まっていた。写真をとるため河原に降りたりして色々な場所からパパラッチ。

明治24年に初代の橋がかけられてから改修に改修を重ね、現在の橋は平成9年に掛け替えられた5代目の橋である。
37メートルの長さと3メートルの幅を持つ橋で、昔は河童が住んでいそうな深い淵があったところから命名されている(諸説有り)


いかにも観光地によくある感じのお店で河童焼きなるものを購入。味は普通。でも記念になるのでついつい買ってしまった(^^ゞ


その後、再びタクシーに乗り込み、車窓から大崩落を見ながら釜トンネルを通り愛車のもとへ戻った。


上高地から松本へ向かう途中の道には多くのダム施設があり、東京電力の施設が一般公開されているところもある。ここはダムの堤の部分から下を見て撮影した写真。写真では分かりづらいが中央の写真は高所恐怖症の方にはキツイ一枚かもしれない。

さらに高所恐怖症の方にはオススメしない写真をもう一枚。

よくもまあこんな崖に足場を作ったものです。
一体何人くらい殉職者がいたんでしょうか?黒部ダムの時を思い出します・・・


この左に写る写真もなんだか怖い写真の一つ。写真中央に写る橋が途中で途切れてますがその時通ってた車がいたとしたらどうなってたんでしょう?車ごとダムに墜落して即死な気がします。


上田城



美ヶ原に行ったついでに長野県の上田城に寄ってみることにしました。ここは真田太平記の舞台となった場所であり、徳川秀忠の襲撃を籠城で守り抜いた地でもある。とはいえ私はあまり歴史には詳しくないのであまり書くとボロが出そうなのでこのへんにしておく。


ここは上田城というか上田城の城跡となります。ですので天守閣とかはありません。唐突にここに寄ることになったので下調べを全然してません(^^ゞ


江戸時代には日本中に城がたくさんあり、何百もの城がそれぞれの領国に存在した。
やがて明治6年制定された「廃城令」により、国内にある殆どの城は姿を消すことになる。
まさに徳川政権から天皇に主権が移譲した象徴と捉えるような出来事だった。明治時代初期の日本はそれまでの伝統を重んじる保守的な政策から、文明開化と共に革新を推進する政策へと180度変わってしまった。現在そのままの形で残されている城はほんの僅かであり、実際には殆どの城は火災や老朽化、そして戦争によって崩れてしまっている。
明治になりどんどん城は廃止されたが、一部の城は廃城令を逃れ県庁などに転用されて生き残ることになる。昭和に入ると城の素晴らしさが見直され、観光収入源として着目されることとなり、壊された城は皮肉にも復元されて行くことになる。現在でも姫路城などは定期的に維持管理のための工事が続けられている。ちなみに豪華絢爛なその姿から姫路城は世界遺産となっている。
大阪城・彦根城・名古屋城・松本城などは国の重要文化財に指定されており、観光地としても十分な魅力がある


軽井沢



もはや説明の必要がないほどの超有名な観光地です。何度か行ってますが今回は凄まじい渋滞に見舞われました・・・
休日の軽井沢でこんなに混んでるのは初めてだったかもしれません。


なんでしょう?以前よりもかなり人が多くなっている気がします。オシャレでセレブな町なので不況とか震災後とかはあまり関係ないのかもしれません。東北や北関東が風評被害が出ていてここに集まるのがあるのかもしれません。
そんな軽井沢ですが、ここも浅間山がたまに噴火すると観光客がグっと減るようです。


ここは物価がおかしい。というのは私の視点から見た感想であるが、多くの方もそう思うのではないだろうか?
ちょっとおいそれと注文できない(勇気がいる)レストランが多いです。一応ケンタッキーとかもあるのでエスケープも可能。


さて、軽井沢に来たら是非ここも寄りたい。でもこの時は思わぬ渋滞にはまり、ここに着いたころにはもう日没後でした。
むかし、ここに鉄道が通っていた頃の遺構で、めがね橋はその最大の遺構である。
廃線跡に堂々と侵入することができ、前後の隧道等にも入ることができます。廃線跡が廃道にならずに遊歩道として生かされているいい例です。夜になってしまいましたが諦めきれなかったので、軽井沢から上信越道に乗らずに国道で碓氷峠を通りました
上信越自動車道が開通してからは碓氷峠を通る人は僅かかと思いますが、昼間であれば鉄道遺構が楽しめるワインディングロードとなります。ここはまた必ずリベンジしたいと思います。

碓氷峠を超えると群馬県となります。群馬県のレポはこちらからどうぞ→群馬県




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