ちなみに小田急電鉄は1962年に箱根ロープウェイを開業している実績があり、丹沢が県立の自然公園から1965年に国定公園の格上げに伴って秦野の地にもロープウェイを!との計画だった。小田急は1966年に建設事務所を設け、翌年にはアクセス用の林道の整備が無事に終わった。ただ、バスの乗り入れにはまだ不十分であり、拡幅工事をしようにも地元の山小屋組合からの反対運動もありなかなか進捗しなかった時期もあった。 |
ただ、1960年代後半には陸運局の承認および県の承認が相次いで下り、小田急の果敢な地元民への折衝が実を結び、いよいよ計画はバス乗り入れ道路の認可待ちとなる。しかし、1968年に岐阜県で発生した観光バスの大事故がもとでバス道路の安全基準が高まったため道路工事の認可は一向に下りなかった。その後、1972年になってようやく道路改修工事の目途がたち、地元新聞が着工の予定を報じた直後、自然保護団体から反対の声があがり、最終的に県から着工の無期延期の要請があったため、小田急はしばらく工事を見合わせることになった。さらにその後、建築資材の暴騰により1974年に事業計画自体を中止することになってしまった。 |
普段丹沢の山を登っていると「なんだこれは」と思うような遺構に出会ったりします。それが今回の索道の遺構なのかはわかりませんが、事業前に中止になっているので遺構というのもおかしいかと思われます。いろいろと調べていると丹沢にはなんと森林軌道があったという情報も掴みました。場所は丹沢湖の西の端のあたりになります。こちらについてもそのうち探索に行きたいと思いますのでまた進捗がありましたらここで公開しようかと思います。 |