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千葉県




千葉県は全ての県境が河川によって分けられている日本唯一の県です。
また、この県は500メートル以上の山が一つもなく、かと言って平地ばかりでもない。
養老渓谷もあるし南房総は切り立った崖も多い。
東北ほど面積が広いわけではないが真っ直ぐ走れる軽快な道が少ないためか、一日で一周するのはほぼ不可能である。
千葉県はじっくり時間をかけて何日かに分けて攻略していくといいと思います。


千葉県銚子市



千葉県の中でも有名な銚子市。ここは関東地方の中でもいわゆる「最果て」な位置にある。
それでもこの銚子という地名はメジャーである。


最近銚子がアツい。銚子は犬吠埼の観光で毎年多くの人が訪れるが実はその背景にはただならぬ裏話がある。←この↑この濡れ煎餅はみなさんご存知だろうか?
実は銚子には銚子電鉄という鉄道が走っており、全長僅か6.4キロで銚子駅と外川駅を結んでいる。実はこの路線、大正2年に開業した歴史のある路線なのである。
しかしその後赤字経営が続き大正6年に倒産。僅か開業4年目で廃線になったというある意味すごい路線なのである。
しかしその後に有志が集まり大正11年に復活を遂げている。
以来長らく銚子観光の足として活躍してきたが2000年代初頭に前社長の使い込みが発覚し、多くの借金を抱えたまま経営的に真冬の時期がはじまった。

しかし、新社長はその窮地を救うためにあるアイデアを打ち出した。
それが「濡れ煎餅の販売」なのである。
濡れ煎餅はもともと銚子電鉄が赤字経営を補うための副業として販売していたものであり、新社長はこの濡れ煎餅をたくさん売ることが銚子電鉄を廃線から救うための最後の手段と覚悟した。

濡れ煎餅の販売は苦難の連続であり、なかなか思うようにいかなかった。
そんな中、車両の定期点検(車検のようなもの)や、踏切・ホームなどの安全点検にひっかかったことによる早急な再整備が急務とされた。この時銚子電鉄の口座には900万円ほどしかなかったという。


新社長は倒産を覚悟し、最後の手段ということでインターネットの掲示板に「濡れ煎餅を買ってください」と懇願のメッセージを残した。

すると2ちゃんねるなどで話題が沸騰し、全国から濡れ煎餅の注文が殺到。
その中には、いろいろなメッセージが詰まっていた
「昔新婚旅行で銚子に来たときに乗った思い出が蘇りました」
「長年銚子電鉄に乗ってる鉄ヲタです。なくなってしまうのはとても寂しいです、どうか営業を続けてください」
etc...

この実話は実際に銚子の観光地などでお土産用の濡れ煎餅を買うとその中に新社長からのメッセージが同封されている。
私も銚子電鉄を応援したいので是非みなさんも濡れ煎餅を買ってもらえたらと思います(^^ゞ


さて、銚子電鉄ネタはこのへんにして次は犬吠埼のレポに参ります。


銚子から東を見れば見渡す限りの海である。そんな感動的な景色を堪能したいならば本当の犬吠埼に行くよりもここに来ることをおすすめしたい。小高い丘の上に立つ展望台からは視界が開けて見渡す限り300度は太平洋の景色。
こうゆう場所に来ると地球が丸いことが良く分かります。


他にも地球が丸いことが分かるのは他にも岩手県のトドガ崎や和歌山県の潮岬などがありますが、都心から2〜3時間で来ることができるスポットとしてはこの犬吠崎はオススメスポットです。


ただ、写真では地球の丸さは伝わらない。これがパノラマ写真であれば伝わるかもしれないが残念ながら私のDMC-FT1にはそのような機能がない・・・・


展望台からの眺めは海を眺めるようりも内陸側を眺めたほうが楽しいかもしれない。何となく箱庭的な感じでミニチュアジオラマのようだ。


ちなみにこの展望台では軽食を取ることもできる。素晴らしい景色を眺めながら食べればなんでも美味しく感じます。
「例の」濡れ煎餅もここで1枚単位で買うこともできる。


養老渓谷


千葉県は海のイメージが強いが、内陸部にも魅力はある。確かにそんなに見どころは少ないかもしれないが、ここだけで十分満足できるほどこのスポットは「濃い」


まだ「濃い」スポットの紹介ではないが、その近くに駐車場があり、我々もここに止めて食事をしたあと釣りを楽しんだ。
左の池では鯉を釣ることができ、右の池では鱒が釣れるようです。それにしても鱒の供養塔があったのはびっくりした。
人間って残酷なのか優しいのかよくわかりません、鱒にとっては迷惑な話でしょうけど(^^ゞ


さて、そろそろ行きましょう。
私がわざわざ養老渓谷を選んだ理由とも言える。
千葉県には鴨川シーワールドや勝浦の漁港、マザー牧場に東京ドイツ村。いろいろな観光スポットがあります。
今回の旅行でもいろいろと考えましたがここだけは外せなかった。むしろ他の観光地を犠牲にしてまでここに来た感がある。


それは隧道です。と言ってもこの隧道ではない。いや、この隧道なんですがこの隧道ではないというか・・・・
説明が難しいです。これらの写真は養老渓谷の駐車場から少し歩いたところにある隧道の坑門ですが、このトンネルの中に入ってしばらくすると強烈な光景を誰もが目にすることになる。


百聞は一見にしかず。見ればわかる!!






出典(山さ行がねが様)

千葉県に素掘りの隧道が多いのは後述するが、この隧道は一味も二味も違う。
みなさんはこのようなトンネルを見たことがあるだろうか?
いや、むしろそのような隧道を知っているのなら是非とも教えていただきたい
この光景を見て私はひどく興奮していたが、他の同行者は
「ちょっと変わった隧道だな〜」
というくらいでたいして興味を持っていなかった。何だか悲しい。
この隧道については以前にとあるサイトで見て知ってはいたものの、なかなか来ることができなかった。やっとここまでこれて大げさではなく感無量だった。

それでは左図を説明します。

黒い線:養老渓谷遊歩道(このあとレポします)
黒い矢印:進行方向(逆だと隧道の異変に気づきにくい)
赤い丸:共栄隧道(今回の主役となる隧道)
四角い赤枠:隧道後半の不自然な下り(しかも急坂)

左図の下部分は上の地図の青い線を断面化し、標高を分かりやすく視覚化したものである。

通常、トンネルというものは直線で最短ルートを通るのが通例であり、洞内カーブはあったとしても洞内で標高が変わるというのは大変珍しい。
実はここにこの隧道の秘密がある。

もう一度左の画像を見ていただきたい。洞内の天井がやたら高いのがわかると思う。
そして向こう側に見える「上の穴」に関しては、「もう一つの坑門」なのである。

つまり



昔は上の穴がこの隧道の本来の線形だったということになる。そしてそのあとに線形改良として
下の部分から掘り直されてこの共栄隧道まで道をつなげた、というのがこの不自然な眺めの正体なのである。

そうゆう訳だから天井がやたら高いのも頷ける。この隧道は旧道と新道が上下に重複しているという大変珍しいタイプです。

でもそうなると「旧道」の方が気にならないだろうか?


すぐ目の前に地上への光が見えており、昭和45年に作られた新道(下の道)の前には上の坑門を使って入洞していたことになる。つまり・・・・
 旧道があるはずだ 
しかもそんな長い距離ではないので廃道区間もさして問題にならないはず。

この日は廃道歩きの装備はしていないが、なりふり構わず旧道へと向かった。

ここでもう一度おさらい。

黒線のルートで新道を通ってトンネルの外に出て、次に赤線のように廃道を通って上部の坑門へ目指す。

順調に行けば左の写真の上の穴のところに出られるはずである。

はたして・・・

うぬぅ!くそっ!
予想以上にヒドイ廃道だ(;´Д`)


この道が見捨てられたのは昭和45年(1970年)

つまり死後41年もの時が経過していることになる。

大量のクモの巣が私の顔面にまとわりつき、得体のしれない虫たちが視界に入ってくる。しかし俺は負けん!

ガサゴソガサゴソガサゴソガサゴソ



顔についたクモの巣を取り払いながら1メートルを10秒くらいのペースで進むとそこには・・・


キタ━━━(゚∀゚)━━━!! キタ━━(゚∀゚)━━ヨ キタ━(゚∀゚)━! キタ━━━(゚∀゚)━━━!!

到達した瞬間、私の興奮状態はMAXだったが、洞内を歩く一般人に変な目で見られないように冷静を装った。
こんなところに人がいるのが見つかったら何となく気まずい・・・
ちなみに上の右の写真は、下は「下のトンネル」の真上部分である。この先端に立つことは全くオススメしません。
3〜4メートルほどある道床に落下したらただでは済まないので土嚢が積んである部分まで進むことは自重した。

ちなみに旧隧道に入ってすぐ左のところに横穴がある。

でもこの横穴は今はどうやっても入ることができない。
右から助走をつけてジャンプすれば届きそうな距離だったがまさにキチガイである。
これにチャレンジするのはさすがに遠慮させてもらった。
後からネットで調べて分かったことだが、この穴はこの隧道の中に3箇所あり、
戦時中に防空壕として使われていたことが発覚した。

こうゆうイワク付きの隧道は歴史を調べると興味深い事実が分かってきたりして面白い。

同行者を待たせていたのでこのへんで終わらせて帰ることにした。
帰りもまたクモの巣と得体のしれない虫、雨に濡れた植物たちの洗礼を受けながら3分ほどかけて隧道の入口に戻った。
私の大嫌いなゲジゲジやカマドウマがいなかったのが唯一の救いか。


ずいぶんと楽しませてもらった共栄隧道。ちなみに写真では洞内が緑色に写っているが実際に肉眼で見ると普通の白い照明である。
なぜこのように見えてしまうのかは分からない。



ここからは養老渓谷遊歩道のレポになります。
先程の共栄隧道を抜けた先にある赤い橋を渡り、川沿いへと降りるとそこは遊歩道。
これが整備された道なのか、昔からある古道の名残なのかは分からない。でも何だか臭う。この道は臭うぞ。


それにしても川床の模様がキレイです。奇岩も見られ、何かと渓谷美以外にも視覚的に面白い。
川床の土の模様のようにも見えますがどうやら石が削れてこの模様になったようです。
一体どのようにして作られたんでしょうか?


先ほど旧道の臭いを感じ取ってはいたが、あながち間違ってはいなさそうである。
左の写真では飛び石で対岸に渡る場面が写っていると思う。しかし、その昔は対岸に渡らずにそのまままっすぐ道があったような痕跡を残している。その証拠に飛び石の先にもコンクリートの遊歩道の擁壁跡が残っている。
これはもう旧道がここにあったか、未成道かのどちらかということになる。


それにしてもこの川はずいぶんと川幅のわりに浅い。幅をめいっぱい使って流れているという印象です。多くの場合、河川は実際に水の流れる部分と河川敷の部分で別れていることが多いが、稀にこのような川に出会うことがある。
群馬県にある吹割りの滝が流れているところも同じように、広い川幅で水が均等の浅さで流れている。
ただ、上の写真を見る限りでは多数の枝や流木が見られ、台風などの大雨の影響が随所に見られる。


養老渓谷の遊歩道は自然を満喫するパワースポット的な意味合いが強いが、もう一つある。
御覧のような岩肌の露出や地層が地表に露出しており、地質学者にとっては興味深い場所なのかもしれない。
上の2つの写真は地層がはっきりとわかるほどにくっきりと岩盤層が見えている。
ただ、どちらも水平なものではなくこの辺の地殻が隆起もしくは沈降によって土地が傾いた過去がありそうだ。
ただ、左の崖はどうだろうか?
かなり高い位置まで崖が続いている。この部分だけ岩肌が露呈していることから河川の侵食以外にも地震による崩落と風化もあると思われる。特にこの部分だけ植生が無いということはごく最近に地震などで崩れて間もないことを証明している。これだけ陽の当たる崖に植物が一切生えていないこともこの推論を後押ししている。
ただ、左の写真はもともと昔は弘文洞という水路隧道だったようです。
その隧道は人工的に掘り抜かれたものであり1979年に崩落して現在の姿になりました。

崩落がこんなに最近だということを知ってちょっとびっくりしました。

深い淵には鯉の姿もあった。よく見ると小さな魚もところどころで発見でした。
キャンプ場のようなものも途中で見かけましたが、実質ここは徒歩でしかくることができないので、キャンプ用品を抱えてこんなところまで来るのは相当大変だと思います。


今回ご紹介した遊歩道は養老渓谷の中でもほんの一部の部分です。私の個人的な嗜好によりこの場所をチョイスしました。
・・・共栄隧道に行ってみたかったのが理由です(^^ゞ

でもこの遊歩道のなかにもちょっと私の興味をそそられるようなものが存在してました。
またしてもそれは隧道。でも先程の共栄隧道とは違ってこれは侵入できない。


その気になる隧道というのが左の写真。見たところ水路のようだがちょっとおかしい。あれだけの水量を流すのにこのサイズは不自然だとは思わないか?
あくまで推論に過ぎないがこの馬蹄型の形状からして、もともとはこの穴は鉄道用に作られたものではないか?実際鉄道用の隧道としては一番多いのがこの「馬蹄型坑門隧道」である。ではなぜこんな場所にこのような鉄道用のトンネルがあるのだろうか?
そう疑問に思う方も少なくないと思われる。

ただ、私も単なる推論でモノを書いているわけではない。


左の写真は千葉県内を走るJR久留里線の線形を描いたものである(出典:Wikipediaより)
ただし、この
久留里線は実はこのまま延伸して太平洋側までつなげる計画があった
詳しくは後述する。
延伸計画は突然ストップしたもののようで、もしかしたら現在は上総亀山駅で終点となっている久留里線も
「その先」の工事は着工されていたのではないか?

しかもこの辺は房総半島の内陸部の山あいの場所ながら、つい30年ほど前まで木原線・いすみ線・小湊線・久留里線等の鉄道が集中していた場所だった。
上の水道隧道の件に戻るが、これだけの路線が集中しているということからも、どこかの鉄道の延伸計画で掘られた隧道という線がいよいよ濃くなる。

そこで久留里線の終着駅へ行ってみました。


ここは久留里線の終着駅である上総亀山駅。
本来はもっと延伸する計画で太平洋側まで伸びて外房線に接続するはずだった久留里線。しかし現実は厳しかった。


1980年台、国鉄民営化の煽りで全国の鉄道計画が見直された際に、不要不急線という扱いとなってしまったのだ。
つまり久留里線は当初の計画通り太平洋側まで伸びることなく、木更津駅からこの上総亀山駅までの盲腸線となってしまった悲しい結末を持つ路線なのである。そう思うと上の真ん中の写真に写っているレールエンドがたまらなく哀愁を誘う存在に思える。

つまり何が言いたいかというと、先ほど紹介した養老渓谷の遊歩道部分は実は鉄道の廃線跡(もしくは未成線跡)で、水路隧道は鉄道用隧道を転用したものだったのではという仮説でした。
すいません、かなりマニアックな妄想になってしまいました(゚∀゚ )

房総半島は交通遺構が沢山眠っています。たくさんの手掘隧道が掘られたしたくさんの廃道・廃線・廃橋が眠っている。
東京に近いということで、戦時中にはたくさんの防空壕も彫られています。太平洋戦争時には東京湾を監視する目的で京葉地域にはたくさんの軍の施設が建設されたという情報もあります。
いろいろと調べていくとどんどん興味深い事実が発覚し、実際にそこに行って見てみたくなります。


これは交通遺構とは直接関係ないかと思うが、「気になる穴」だったので強引に登って中を見てみた。
ここは養老渓谷の駐車場からすぐ近くのところに空いている穴であり、それほど車の通りは多くなかったので蛮行に打って出た。
この手の穴で一番最悪なのは見てはならないものを発見してしまうことである。
普段ほとんど人が近寄らないということで、いつか「死体」とかを発見してしまいそうで怖い。
でも今のところはせいぜい「いかがわしい本」などがあったくらいで重大なものの発見には至っていない。ただ、こうゆう穴は防空壕跡だったりで、戦時中に使われていたと思われる茶碗などが中に散乱していることはよくある。さすがに気分のいいものではない。
この穴に関しても中なゴミが少しあっただけで3メートルくらい奥で行き止まりとなっていた。

ちなみに左の写真の私のような行動はおすすめしません。
4メートルほどの高さがあるため、あまり真似することはオススメしません。
中も大したことがないのでケガをしたくなければ素通りでいいと思います。


「穴」のすぐ近くには観音橋というありふれた名前の橋がある。
アーチ型が2連の50メートルほどの橋であり、特に特筆すべき点はないが強いて言うならばとても歩きずらい


↑これは養老温泉(黒湯温泉)の源泉らしいが、このような看板がなければ湧き水だと思って飲んでしまいそうです。
よ〜くみると「飲泉ではありません」と書いてあるが、知らずに飲んだ人は多いと思う。
そしてその脇には防空壕がポッカリ穴を開けていた。入口にはちょっとしたヤブがあるくらいで誰でも簡単に入ることができる。
入ろうと思われる方はあまり居ないと思いますが中は立って歩けるほどの広い空間が広がっており、涼しくて快適である。
ただ、ちょっと奥の方に入ると迷路のような入り組んだ形状になっていて少し恐ろしくなった。本土決戦を想定して米兵を攪乱するためでしょうか?
本格的に探索するにはそれなりの照明を持っていかないと大変なことになると思います。私はこの日は照明を持ってきてなかったのでケータイの明かりだけだったのでこれ以上は自重しました。


一日平均乗客数は112人、小湊鉄道の養老渓谷駅です。それなりに大きな駅で小湊鉄道では珍しい有人駅です。
また、駅には足湯が併設されており、駅を利用する方なら無料で利用できる(足湯のみの目的で来駅の場合140円)




東京湾フェリー


千葉県は東京から離れるにつれてだんだんと田舎になっていく。
浦安から幕張・千葉・木更津と鉄道で辿ってみると分かるかもしれない。木更津はアクアラインの影響で少しは栄えているかもしれない。でもそれより南側の富津や鋸南まで来ると、とても「京葉工業地帯」などと呼ぶにはあまりに程遠い漁村が広がってくる。鋸南町も横須賀の久里浜からフェリーが出ているので知っている人も多いかもしれない。
お次はそのフェリーについて少しご紹介したいと思います。


車ごと船に乗せたら潮風を浴びにデッキへ出よう!


船に乗ると早速海鳥たちが群がってきた。この鳥達の目的は人間から与えられるエサであり、パンなどをちぎって投げると空中で啄んで食べる。これはなかなか面白い、鳥の数も多いのでかなり迫力があります。
私もやってみることにした。とんがりコーンをもらって中指につけて空を指さしているとこっちに近寄ってきて食べるのだ。
これはなかなか怖い。指を食いちぎられることはないにしろ、どれほどの力があるか分からないので結構怖いです。


この航路はいったい何度目だろう?
毎回思うんですが東京湾の船の往来は本当にすごいと思う。左の写真なんかは一瞬「?」と思うかもしれないかが、これは自分の乗っているのフェリーの目の前をタンカーが横切っている写真です。ぶつかるんじゃないかとちょっと不安になる。

そして気になるお値段ですが・・・・

フェリーの場合、車が大きいほど高くなります。以前高速が1000円だった頃はずいぶんとフェリー業界が打撃を受けていたが今は少し違ってきているのかもしれない。東京湾フェリーの航路は横須賀の久里浜から鋸南町の金谷。アクアラインを使うよりもだいぶ早く南房総に行けるので時間的なメリットは捨てがたい魅力のひとつである。


鋸山(のこぎりやま)


鋸山(ノコギリヤマ)はフェリー港からすぐに行ける小さな山ですがここで切掘された岩は江戸に運ばれて使われたと言う伝説も残っているほどです。軽いハイキング感覚の登山もできるので本格的な登山はちょっと・・・という方も登ってみてください。心配要りません、こんな場所ですから↓
←地獄のぞき

神奈川から鋸山へ行く場合は私としては横須賀から出ている東京湾フェリーの利用をオススメしたい。
東京湾アクアラインや首都高速湾岸線を通っていくルートもあるがそれでは無駄な距離を走ることになる。フェリーであれば30分ほどで対岸に渡れるしアクアラインや高速を使って向かうよりも安いと思う(無駄な距離を走るガソリン代も考慮して)

なお、鋸山についての詳しいレポは登山レポートのほうで詳しく紹介しています。→ 鋸山レポ



大山千枚田


ここは千葉県の鴨川市にある大山千枚田。かなりマイナーな観光地であり、ここにたどり着くまでに結構迷いました。
この棚田は実は全て雨水のみで運用されており、日本で雨水のみで稲作を行うのは実はここだけである。天水田と言うらしい。


場所柄ここにはカメラマンに好まれます。天気のいい日はご覧のように棚田がくっきりと見える。
私のホームページに乗っている写真は、2年ほど前からDMC-FT1というパナソニックのカメラで撮った写真を、PCで彩度を少し上げて掲載しています。でもデジタル一眼で撮った写真はやはり違う。だからといって今使っているカメラは防水だし、耐衝撃で防塵な頑丈なカメラなのでとりあえず壊れるまで使おうかと思います。
この棚田は雰囲気は良いが、規模としては石川県能登半島にある千枚田の方が大きくて有名。


この大山千枚田には375枚の田があるが、現在全てが使われているわけではない。
ちなみに棚田オーナー制度という斬新的な制度があり、大山千枚田保存会が運営している。現在は約130組の個人・法人が利用しているようである。稲作に興味のある方はここで体験してみるものいいかもしれない。私の場合はここは遠すぎるので無理ですが・・・・


少し離れたところにはこのように野生動物もいる。結構民家の近くだったのでいろんな意味で被害が出ていると思います。
千葉県は東京の隣でありながら気軽に自然を味わえるスポットだと思います。
房総半島は地図を見てみるとわかるが、3方を海に囲まれており、先端部に行けば行くほど陸の孤島となる。


そして何故か多い素掘りの隧道たち。昭和初期にコンクリートが普及する以前にはよく彫られていたが、現在ではほとんど姿を消しており、あまり見かけることがない。でも房総半島は低い山が多く、超大トンネルを掘る必要性がなかったためか、機械で掘るよりも昔ながらの方法で掘ったほうが手っ取り早かったのかもしれない。


東京ディズニーランド




これらの写真はハロウィンの時のデズニーランド。なんだかファンタジーな雰囲気と言うか・・・不気味ですな。
でも千葉県で誰しもが来たことのある場所と言えばここしか思い当たらない。ディズニーランドと成田空港は日本人なら訪れたことのある方は多いはず。

でも最近よく思うが全国にいろんな遊園地があるというのにTDL(東京ディズニーランド・以下TDL)に偏りすぎていないだろうか?


私は神奈川県人だが、小さいころから親に連れられたりしていろいろな遊園地に行った。今でもよく覚えている。
向ヶ丘遊園地という名前を聞いたことあるだろうか?もし神奈川県民で知らないと言うのなら相当若い方か小田急沿いの民ではない。
向ヶ丘遊園は今も小田急にその名を駅名として残しているが昔はスケートもできたし駅から遊園地までモノレールが走っていた。今ではモノレールの跡も殆ど見られないが当時はワクワクしてモノレールに乗り、階段を上がったところにあったジェットコースターの迫力に圧倒されたものだ。

向ヶ丘遊園(ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%91%E3%83%B6%E4%B8%98%E9%81%8A%E5%9C%92

そして横浜市民なら「横浜ドリームランド」を思い出してもらいたい。廃園になって既に10年くらいだろうか。
そしてここも大船駅からモノレールが伸びていた。しかし興味深いのはこのモノレールはたった1年半しか営業されなかったという点だ。ドリームランドは37年も営業していたと言うのにこれは実に面白い・・・・。趣旨から外れてしまうのでドリームランド線の謎に関しては下記を参照ということで

横浜ドリームランド
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89
ドリームランド線
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0%E9%96%8B%E7%99%BA%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E7%B7%9A

そして一番好きだったのが「御殿場ファミリーランド」だ。これは神奈川県ではないが比較的ウチから近い御殿場市にあった。ちなみに上で紹介したものも含めて3つとも廃園となっている。
御殿場ファミリーランドは今は「御殿場アウトレット」として毎週末大渋滞を引き起こすほどの大盛況ぶりを見せている。それでも観覧車はまだ残っていて谷を渡る橋もそのままだ。
中学1年のときに子供だけで来たという思い出深い遊園地でもある。

御殿場ファミリーランド
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E6%AE%BF%E5%A0%B4%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89

他にもよみうりランドや富士急ハイランドなどの遊園地が近くにありますがこれらの遊園地もいつ閉園になってもおかしくない。
以前韓国から日本に来ている友人を富士急ハイランドに連れて行ったことがある。その時の「思ッタヨリ人ガ少ナイデスネ」という言葉を思い出す。
みんなTDLに集まってしまい、周囲の遊園地が閉鎖に追い込まれるのはとても寂しく悔しい。TDLが悪いわけではないがなんか他にも頑張っている遊園地達にスポットライトを当てて欲しいものだ。


なんだか千葉県のレポとはまったく違った方向へ話が飛んでしまった。
TDLは好きですよ、一応・・・・

余談だが、東京ディズニーシーの乗り物を一日で全てコンプリートするやり方を紹介しているので興味がある人は下記のページを見て欲しい。私が身をもって強行軍で挑んだ(しかも日曜日に)乗り潰しの記録である。
東京ディズニーシーを一日で全て回る方法



千葉は茨城県に近いところは平地が多く川や沼も多い。
下の写真は河童が住むと言う伝説が伝わる「印旛沼」の近くにできた道の駅沼南。

「しょうなん」と平仮名であるのは湘南にあやかりたいからなのだろうか?
湘南ではなく沼南です。加山雄三やサザンオールスターズ・TUBEなどで有名な湘南。河童の住む印旛沼で有名なのは沼南。


千葉は幕張メッセがあるので仕事でも度々訪れることがある。
幕張メッセは国際展示場に並び、国内外の様々な企業が新製品の展示会を催したり規模の大きなコミュニティースペースとして活用されている。IT教育ソリューションや理化学機器展など、教育・研究用の機器・備品をよく見に行ってます。


そして忘れてはいけないのが日本の玄関口として君臨する成田空港。
ここは羽田とは違いかなり国際色が強い。空港内も外国人を意識した看板屋標識などが多く、まるで外国にいるような錯覚に陥る。
ここは特に飛行機を利用しない人でもくることができます。展望テラスには高そうなカメラで飛行機を追うカメラマンの姿もあった。


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