鋸山
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| 鋸山 のこぎりやま 2011/10/9登頂 2011/10/18公開 石切り場として有名な山 | |
| 標高:329メートル 所在地:千葉県鋸南町 登山適期:通年OK 日帰り可能 最寄駅:JR内房線保田駅 登山レベル:2 | |
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江戸時代から石切り場として栄えたこの山は、現在では千葉県を代表する日帰り登山スポットとなっている。
浜金谷駅の方から観光ロープウェーを使って登ることもできるが、私の場合はフェリーで横須賀から来て車で途中まで登ることが多い。というか3回来てますが3回ともフェリーで来てます。
何気なく掲載した上の3つの写真。これは鋸山登山自動車道といって2輪バイクは通れない自専道です。
驚くべきことにこの道、全長2.6キロ全てが個人の所有地である。10年以上に及ぶ難工事の末1975年に開通した。
個人の所有物であるこの道路は、景観が素晴らしく、東京湾を挟んで横浜・横須賀を見通すこともでき、天気が良ければ富士山までも見渡せる。
上の写真はトンネルというより、昔の呼び名で「隧道」という方がしっくりくるような光景であり、近くによると壁の部分の凹凸が目立ち、最近のシールド掘削法が使われていない=予算が少なかったという推測が成り立つ。でもこうゆうの大好きです(^^ゞ
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もともと登山用の山ではなく、石切り場としての山だったので、今でもその遺構がいたるところに残っている。
昔の産業遺構を観光資源としている場所は多いが、この山に関してはいつでも誰でも簡単に登れるということで、登山家よりもむしろファミリーや旅行客が多い。 |
山頂近くまで車で行くことができ、あとはこのような石畳の整備された道が山頂まで続く。
10分ほどで労せず登頂することができるので、近くにくることがあれば気軽に登ってみてもいいと思う。
山に登るというと語弊があるかもしれない。標高差は100メートルもなく、若い人なら5分くらいにで上まで行けます。
当然無装備で構いません。サンダルでだって登れてしまいます(ハイヒールはダメですよ)
これが山頂付近からの眺めになります。多少靄(もや)がかかっており遠くまで見通すことはできませんがそれでも十分いい長めだと思います。写真ではなくできれば実際に行って見てもらいたい景色です。
山頂からは富津館山道路とJR内房線が見渡せます。何となく千葉県は全体が箱庭のように思えてなりません。
千葉県は実は500メートル以上の山がひとつもなく、内陸部の山あいの土地も丘陵と呼ぶような低山が連なってます。
それに県境がすべて河川というのも千葉県唯一であり、それだけ土地の平均標高が低いということになります。
申し訳ないが千葉県に住んだら自分は退屈になる気がしてなりません(笑)
ロープウェイの山頂駅の屋上には展望台があり、しかもかなり広いので混雑することなく山頂からの眺望を楽しめる。
そして先ほど車をとめた駐車場がこんなに近くに見えます。いかにラクな山かというのが分かっていただけると思う。
ただ、この鋸山の本当の見どころは展望台でも眺望でもない。
一旦駐車場に戻り、300円(だったかな)を払い向かった先にある「地獄のぞき」こそが本当の見どころなのだ。
そこに行くまでの道は先ほどの登山道とは比較にならないくらいキツイ。ただ単に姪っ子を肩車したまま登り続けていたからかもしれないが、それでもこの長い長い階段は塔ノ岳のバカ尾根を連想させるほど嫌になる。 そしてようやくたどり着くとそこには写真で見たとおりの鮮烈な光景が待っていた!
この山の石は「房州石」といって幕末・明治・大正・昭和の時代に大いに栄えた。
切り出された石は、船で東京湾を渡り、早稲田大学や靖国神社、さらには横須賀の軍港や横浜の港湾施設などに使われた。
左の写真に映る出っ張りが有名な「地獄のぞき」であるが、石は上部から切り崩されてどんどん下に向かって切っていくためこのような峻嶮な崖となる。つまり、地獄のぞきがあった場所は大昔は比較的平らな頂だったということになる。
ここも地獄のぞきほどではないが、垂直に切り立った崖の上。
写真だと「見る」だけですが、実際にこの突端に立ってみると視覚から来る恐怖心、吹き付ける風が聴覚を刺激し、落下の恐怖を触覚(感覚)で感じることができ、臨場感は桁違いです。本当にこれは行ってみないと怖さは伝わりません。
ちなみにここまで行かないでベンチで待っている人もたくさんいました。やはり高所恐怖症だとか不安になる人はたくさんいると思います。
ちょっとした岩があったのでクライミングしてみました。
登山をしているとこうゆうシーンもたまにある。中・上級者向けの山はある意味恐怖心との戦いのような一面もあると思う。
ちなみに「踏み外したら死ぬ」ということで、宝剣岳や石槌山がある。 帰りは違う道を通って帰りましたがここでも手掘りの隧道がありました。修理の壁面をよく見るとノミで削ったあとが残っており、手作業で掘られた隧道という証拠となる。まだ機械がなかった時代の隧道掘りはすさまじく労力を要するものだったようで、明治時代では普通は迂回してでも隧と道はつくらない線形を取ることが一般的。
真ん中の写真はよ〜く見ると蛇がいると思います。擬態していてよくわからないかもしれませんが中央の木に張り付いております。
右の写真は首のない地蔵とそれを見て吹いているような銅像。なぜか崖に大量にこういったものがたくさん置いてあり、ちょっと不気味だった。
鋸山の南側の山麓は日本寺という著名な寺があり、そこには巨大な大仏があり観光客に喜ばれている。
西暦752年に聖武天皇の勅命によってこの地を拓いた行基(ぎょうき)。なんだか名前だけは聞いたことあるような気がしますが、本来の登山レポートの趣旨と違ってくるのでこの辺で締めたいと思います。