赤岳(八ヶ岳)
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| 標高:2899メートル 所在地:長野県茅野市 登山適期:7月中旬〜9月下旬 日帰り不可 最寄駅:茅野駅 登山レベル:7 |
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今回はちょっと無茶をしてしまいます。今思うと日帰り登山としては反省すべき行程であり、自分の登山力を過信していた愚かな計画であった。
そんな無謀とも言える結末をこの段階では全く予想していなかった。
写真が青っぽく見えるかもしれないが、別にカメラがおかしい訳ではなく単純に早朝で朝日が昇っていないからである。
なんせこの写真を撮影した時刻は朝の4:30である。当然寝不足のままのスタートとなる。
この場所はメジャーな登山口である「美濃戸口」。今回はここからのアプローチとなる。
最初の30分程は林道のようなところを歩くことになるが、その後はすぐに急な登りが始まる。
序盤から結構な登りなのでこの時早くも挫けそうになってしまった。
それにしても全然人の気配がない。この日は後輩と二人での登山だったが2時間くらい誰にも合わなかった。
まだ夜が開けきっていないこうゆう道を歩いていると動物に遭遇する期待と不安が出てくる。
登山口と阿弥陀岳の中間地点。この辺からだんだん登山道が激しくなってくる。
この時点で6:00になった。まずまずのペースである。
途中、小休憩をとった際に地形図を見直して時間配分を確認。この時点では順調なペースだった。
しかし、その直後から私のペースが明らかに乱れてきた。真ん中の写真と右の写真は後輩が撮影したものだが、30過ぎのオッサンである私と20代前半の後輩とでは明らかに体力もペースも異なっていた。
それに私は寝不足のうえここまで運転してきた疲れも残っている(←言い訳ではない)
林の道を抜けると見晴らしの良い場所に出た。眺望は抜群だが予想外の寒さに対してゴアテックスのカッパを装備。
相変わらず心強いアイテムである。
しかしカッパを着てもまだ少し寒い、それに雨が降りそうだ。
大したことない山だろうと思っていた甘い考えの私に八ヶ岳が牙を剥く。
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後輩「これって山頂っスかね?」
私「いや、まだ山頂まで半分も来てないぞ」
後輩「自分余裕っスけど大丈夫ッスか?」
私「俺は大丈夫だ、山は恐ろしいからキツイと思ったら言ってくれ。下山する勇気も必要だ」
後輩「大丈夫です」
私「きつかったら言ってくれ」
後輩「じゃあ行きますか♪」
私「・・・・・・・・・」
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実はこの時くらいから本調子ではない自分のコンディションに気付き始めた。先程の会話で本音を言うと後輩に弱音を吐いてもらいたかった。そして無理をせず下山を・・・なんてことを考えていた。
しかし後輩は余裕な様子だ、なかなか私の思惑通りにはいかない。
登山が初めてだという後輩を引率する立場の手前、自分から今日は体調が悪いから下山しようとは口が裂けても言えなかった。
ならば登ってやろうじゃないか!!気合だ!!
そして現れた第一の危険地帯。山ではこうゆう場所はしょっちゅうですが実際にこうゆう場面になってみるとスリルを体感できる。踏み外したらただではすまない状況というのは最近なんとなく病みつきになりつつある(^^ゞ
そして滑りやすそうな路面。部分的に地肌が露出しており、定期的に豪雨などで崩落していると思われる。
しっかりとした登山靴でなければ危険かもしれない。
美濃戸口から登り始めて5時間程かかったがここはまだ本日の全行程の4分の1である。途中朝食をとったり着替えたりしていた時間を含めても平均タイムよりも遅い。睡眠不足が響いているのは言うまでもなかった。
とはいえ1つのピークに達した事実により精神的に余裕が生まれた。ここからは遠く富士山も見渡すことができた。
小ピーク「阿弥陀岳」から見る八ヶ岳(赤岳)の山頂。なんという壮大な山容だろうか、これからあれに挑むのだ。
そう思うとまだまだ距離あるな〜なんてちょっと嫌になった。山頂と山頂を結ぶ稜線歩きは本来楽しいもののはずだが、左の写真はそんな楽しい期待を見事に吹き飛ばしてくれた。
阿弥陀岳は標高2805メートル、対して目指す赤岳は標高2899メートル。この場所と赤岳の山頂の標高差は100メートルにも満たない。本来であれば喜ぶべきだが、左の写真を見ると一度たいぶ下ってまた登らなくてはならないのが見てとれた。
そんな中さらに私を不安にさせる出来事が発生。直接自分とは関係ないがこの先の岩場で遭難者が救助されているのが見えてしまった。たぶんこの場所は通らないし、万が一にも我が身には起こらないと思われる。自然の厳しさを目の当たりにした瞬間であった。
阿弥陀岳をすぎるとすぐに急な下りとなる。せっかく稼いだ標高もどんどん戻っていく。
しばらくは尾根沿いに進むと地面が露呈した滑りやすい道が現れた。
ここから先がガチだということを覚悟した。一応ここから文三郎登山道というエスケープルートもあったが、我々は赤岳の山頂を目指して進むことにした。
本当にこの区間は辛かった。おかげで自分でとった写真はあまり残っていない。ここを登りきればもう山頂だというのに下山すればどんなに楽だろうとずっと考えていた。それだけこの日のコンディションは最悪だった。
最終局面。山の南側・西側は大きなガレ場となっているが北側と東側は緑の生い茂る急斜面が続く。
標高は2800メートルを超えており、既に森林限界も超えている。気が一本も生えていないので眺望はなかなかのもの。
| | あまり感動はなかったかもしれないがここが山頂である。達成感というか開放感の方が強かった。間違いなく今まで登った山の中で最大級の披露が私を襲っていた。 満身創痍とはこのことである。 山頂は尾根上にあるため広い平場はない。とりあえず山頂で感動に浸ることよりも、目の前にある山小屋で休みたかった。一刻も早く休みたかった。 本当に何か足に後遺症が残るんじゃないかと心配したほど深刻な疲労だった。 |
これが山頂からの風景である(西側を向いて撮影)。八ヶ岳は山脈上に連なっている、天狗岳や蓼科
不思議なことに山頂についてしばらくすると疲労が消えてくのが分かった。
| | 山小屋に着くとまず靴を脱いでリラックス。なんだか朦朧としていてあまり覚えてないが何か食べたり飲んだりしたと思う。 そしてその後は少し横になって疲労を回復させた。何だか体の中でものすごい勢いで何かが変わっていくのを感じた。今までにない不思議な感覚だった。これが俗に言う「超回復」なのかもしれない。でも違うな。 全くの余談だが、「ドラゴンボール」においてサイヤ人は死にかける毎に戦闘力が上がっていくという特性がある。なんだかそんなことを思い出した。 これはサイヤ人ばかりに当てはまるものではなく、我々人間においてもスポーツ医科学的に同じことが言えると実証されている。 このときばかりは私も死にかけており、この休憩によって超回復し、登山レベルが上がっている。でもそれは少なくても48時間後〜1週間後のレベルアップである。
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一定以上の身体的披露・ストレスを人体に与えることによって、筋肉痛もしくはパンプアップという現象が引き起こされることがある。ただし、それはすぐに効果が現れるわけではなく、完全に回復するのは一般的に48時間後以降に筋繊維が回復してからとなる。超回復とは一定以上の運動を行なった際に筋繊維の回復によってもともとあった以上に筋肉が増えることを指す。今までのどんな登山よりも肉体的な疲労が濃かった今回の登山。
それは自分自身の体について、心配してネットでも色々検索してしまうほどのインパクトのある登山でした。山小屋を出て下山を開始するとき、外はあっという間に天気が急変してました。
ちょっと不安になるほどの深い霧と雨。私は最初からカッパを装備し過酷になるであろう美濃都口までの下山行程を覚悟した。水分を補給して、物資・装備的には十分な準備を整えたものの、心身は満身創痍であることに変わりはなかった。
下山開始時は特に異変はなかったが、ご覧のような沢が現れたあたりから私の体に異変が起こった。
それは「肉離れ」である。この感覚、私は知っている。以前も肉離れになったことがあり、丹沢夜間登山の際に一度味わっている。その時も、過度の運動が原因で右足が使い物にならなくなった。
あの時は、真夜中の丹沢(鍋割山から塔の岳まで向かう尾根上)での出来事で、20分くらい立っていられなくなってしまい、遭難の二文字が頭をよぎった。しばらく足を揉んだりしているうちに回復し、再び立ち上がって何事もなかったかのように下山することができた。
今回は少し違う。足が激痛で地面から15センチ位しか浮かせることができないという症状。
しかしこれだけの症状でも下山時にはかなりの障害となる。下山ペースは思ったよりも遅くなってしまい、刻々と夜の闇が迫りつつある。私も後輩もかなり焦っていた。
途中、林道末端部にある山小屋からは高額でもいいからタクシーを読んで駐車場(美濃都口)まで送ってもらおうと考えていた。でもタクシーに電話してみると美濃都口から先の道は荒廃していてそこまでは行けませんという返答が返ってきた。
乗れると思っていたタクシーに乗ることができず、いよいよ歩いて戻るしかなくなってしまった。
それは夜になってしまっても自力で歩いて帰るということ。
夜になるとこの辺のエリアは登山道や林道でも「奴ら」のテリトリーへと変わってしまう。
この時間は人間はここにいてはならない。野生なのでいつ彼らが飛びかかってくるかは分からないが肉食動物で無ければなんとか戦うつもりだった。
結局瀕死のまま歩き続け、何事もなく駐車場へ辿り付いた。
登頂の達成感よりも無事に生還できた安堵感の方が何倍も大きかった。
最後に撮影した写真の時刻を見ると夜の19:30だった。朝は4:30から登り始めたので、合計15時間もの行程だった。
15時間もの長い時間、ひたすら歩き続けるという愚行は、事前の下調べ不足と私の不甲斐なさが生んだ結果となった。
後輩はそれでも「面白かったからまた行きましょう!」なんて余裕の表情を浮かべていたが、最高にかっこ悪い引率登山となってしまった。そんな後輩とは他にも谷川岳や乗鞍岳、男体山などを共に登頂している。どんな山に登ろうと今のところこの山を超える過酷な山に出会ったことはない。 いろいろな意味で記憶に刻みつけられた山であった。