Travel Maker

第五章「済州道」 チェジュド





船に乗り込みデッキへ出ると、思い出の詰まった韓国本土を後にする実感が沸いた。
釜山から先は今思うとだいぶ今までの旅とは違った旅だったと思う。
ちなみに右の写真は一番等級の低い雑魚寝スペースである。旅において私の場合はまともに布団で寝ることの方が稀である。
普通の方なら旅といえば立派な宿に泊まっておいしい食事を楽しみにするだろうが、私の場合はいかに小額でたくさん回れるかを追求する傾向にある。
この韓国一周の旅もなんと15万円で実現できてしまったことからも、その節約ぶりがお分かり頂けると思う。



この豪華なリゾートホテルを見てほしい。上の文章で語った節約の2文字にえらい違和感を覚えることであろう。
しかし安心してほしい、こんな豪華なホテルに泊まるはず無いです。ここに来た理由は好きだった韓国ドラマのロケ地であるためである。
この旅は韓国各地のドラマロケ地を巡る旅も兼ねていたので、済州島はまさにドラマ撮影現場(ドゥラマジャルヨンジョンソ)の密集地であるから我々のテンションも自然に急上昇!



左の写真を見てほしい、ドラマで使われたベンチに刻印が彫ってある。この「オールイン・ベンチ」を見てテンションもMAXに!!
真ん中の写真ではGAJIRO氏がドラマの出演者と同じ場所で同じポーズを取っている。
彼はこのような行為を「時空空間共演」と言って、旅先で出会う韓国人の方々に自分の旅の目的を力説していたが一体どんな感想を持たれたことだろうか。日本人を特異な目で見ないでほしいぞ・・・



砂浜が狭いが実に綺麗な海岸線です。これだけでも済州島に来てよかったと思えるほどで、少々マンネリ化していた本土での旅に良い気分転換替わりになった。非常にボリュームのあるこの旅だが短期間で色んなところを見て回るとどこも同じように思えてしまう。


というわけでカジノにやってきた。このカジノは外国人のみが入ることが許されており、韓国人は入ることが出来ない(従業員は除く)
このカジノ、右の写真にあるようにドラマ「オールイン」の撮影現場として使われており、中に入って主人公のマネをしてみたかった。
入口に近づくと手厚くもてなされ中に案内された。
おそらく・・・おそらくだがここの従業員は我々の事を「宿泊者」だと勘違いしてるんじゃないだろうか??
そもそも宿泊者でもないのにこのホテルに入ってもいいのかどうかも分からない。特に誰に許可を取っているわけでもなく、フロントでは礼をされてしまいちょっと申し訳ない気がした。
しかもカジノではちょっとポーカーで買ってしまい、このロッテホテルには1銭も払ってないのに数万ウォンをせしめてしまった。

ちょっと驚いたのはゲームセンターにあるような機械のスロットをやった時、コインではなく500ウォン玉を使用するところが面白かった。
現金で直接スロットをやるのはなかなか緊張する。500ウォンは当時の換算でだいたい50円くらいの価値がある。
スロットは一回に賭けるのはだいたい5ラインであるため一回スロットを回すのに250円かかることになる。何回回したか分かりませんが今考えると本当にギャンブルは恐ろしい。まあ当たりが出て儲かったからよかったが・・・




中文(チュンムン)リゾートの先ほどのホテルからコンベンションセンターに向かって歩いていると海岸線が砂浜から断崖へと変化した。
なんだか
福井県にある「東尋坊」を連想させるような景観である。そして岩をよく見るとこれまた宮崎県にある「高千穂峡」のような柱状節理である。この岩の自然の造形美にしばし見とれてしまった。


そしてこれがコンベンションセンターです。
ここは2003年にオープンしたばかりの国際会議場で4300人もの人数を収容できるホールがある。
先ほどのロッテホテル同様、ここもNO警備だったのでズカズカ入って行って写真を撮った。
いつ警備員につまみ出されるか気が気でなかったが、なんとか大丈夫だった。
リゾート地だったので気が緩んでるんだと思う、見つかっても大丈夫だろうと。
これがソウルだったら警官が来て凄い怒られるんじゃないかと思う。


ここいらでGAJIRO氏の「時空空間共演」の究極の姿をご覧いただきたい。
ちなみにこのドラマは韓国では大長今(テジャングム)というが日本では「チャングムの誓い」という超メジャー級のドラマです。


 ⇒ 
左が俳優の写っている実際の撮影時の写真。そして右側が同じ位置に立って大満足のGAJIRO氏。

 ⇒ 
水路でのワンシーン。ポーズまで真似ている。

 ⇒ 
男性の俳優と同じポーズ。一緒に写ってくれる女性がいなくて残念だ。

 ⇒ 
最後はコレ。本当にドラマが好きなんだな〜



お次は城山日の出岬という日の出の綺麗なスポットを紹介しようと思います。



日の出を見に来たのに完全に曇っている!わざわざ山を登ってきたのに・・・・
それにしても右の写真を見るとなかなかの標高であることが分かる。こんなに高かったんだな。



しょうがないので下山してキニョンサジン(記念写真)を撮った。右がGAJIRO氏、左から2番目が私。残りの二人は例の韓国海軍である。しばらく共に旅をすることになる。
山頂ではあんなに曇っていたのに下さんした途端に快晴である。なんだか世知辛い・・・・
右の写真は城山日の出岬から徒歩でかなり歩いたところから撮った写真である。馬が放し飼いにされていて天然の牧場のようだった。



本当に何キロ歩いたんだろうっていうくらい長い距離を歩いた。
綺麗な光景も歩きにくい場所もいろいろと越えて辿り着いたのは・・・・・



またしても「オールイン」の撮影現場。
やたら風が強かったのが印象的で、この看板がなければ特になんて事のない海辺の散歩道といった感じである。


お次は車に乗り込みハルラ山の外輪を周る。
その一角に、溶岩の流れた後に出来た空洞がある。


かなり長い洞窟でした。

こうゆう洞窟は色んなところで見ることが出来るがこれだけ大きな空洞はなかなか見られない。
ハワイ島で入ったキラウェアの溶岩洞窟もここまで高さは無かった。
足元が濡れているうえ、ゴツゴツしていてとても歩きにくい。しかも帰りはまた同じところを歩いて戻るので少しゲンナリしてしまった。




実はここで私は初めての外車を運転した。左ハンドルは初めてであり、かなり戸惑いを隠せなかった。
乗ったのはレンタカーで韓国車の「SONATA」という車種であった。
車の全体的なフィーリングは日本車となんら違いはないが、ウィンカーを出そうとしたらワイパーが動き出し、ちょっと混乱した。日本車のウィンカーは「右」で当たり前だと思いますが、韓国車は「左」が当たり前なんだとか。
さらに、交差点等で広い道を右折するとつい癖で曲がった後に左側に寄ってしまう。でもこれは「逆走」であり非常に危険な行為であることは間違いない。
ハワイで運転した時もかなり違和感を覚えた。



ちなみに、今回の旅において車を運転することを想定して事前に国際免許を取得していた私。
海外で車を運転するにはこのような国際免許が必要となる。ただ、韓国では看板の意味や道路表示などが日本と異なるため、韓国の道交法を全く理解しないまま運転していた(オイオイ)

ちなみに国際免許は神奈川県人であれば二俣川の試験場にパスポートと3000円を持っていけばだれでもすぐに発行してもらえる。
とくにこれといって試験等も何もない。詳しくは下記のリンクを参照してみてください。

http://www.police.pref.kanagawa.jp/mes/mes83008.htm




唐突に話は変わりますが、↑この左の写真。奥の方は下りに見えますか?
でも奥は登りになってます。
そう、これは目の錯覚が作り出す自然の不思議。その名も「シンピドゥロ」と言い、神秘道路という意味だが殆ど韓国語でも同じである。道路はドゥロです。
それにしてもここは面白い。
ある者は空き缶を転がし、ある者は車をニュートラルにして各々「不思議」を堪能している。


←龍に見えるという岩
暗くなってきたので宿を探すことにした。
この旅では一切宿の予約などは行わず下調べすらしていない。宿すら現地調達という行き当たりばったりな旅。ある意味野郎同士の旅だからこそできる荒行である。これをマネして酷い目に遭っても私は責任を負えません(笑)
しかし韓国の宿事情はなかなかのものである。旅館・ホテル・民宿・ブティックホテル・カプセルホテル・サウナ・雑魚寝・船内・コテージ・ロッジ・ビジネスホテルなど多種多様に渡り、何とかなってしまうものである。
行く先々でアポなしで突撃し、図々しくも値段交渉して1円でも安い宿に泊まる。そんなこんなでいつも何とかなっていたが、旅の途中「今夜は野宿かも」と思ったことも多々あった。野宿は全然構わないが心配は荷物の盗難と寒さである。


ちなみに済州島の最終日は男4人でホテル1室に雑魚寝した。私とGAJIRO氏と韓国海軍の屈強な男二人である
そこで夜な夜な日韓交流を深めていたわけだが、その中でも印象に残っている会話がある。

海軍のうちの一人であるD.K氏が私に向かって


「君が代を歌ってくれないか」


と言うのである。
最初は冗談を言っているのかと思ったが、本当に聞きたいらしく恥ずかしかったが異国の地で君が代を斉唱した。
歌い終わると少し間をおいた後拍手をいただいたが、私の心境はとても複雑だった。

韓国の軍人が君が代を口にするということはどうゆうことだろうか。

当然韓国人は社会の授業で日本の不法占拠(韓国併合)について嫌というほど学んでいるはずで、竹島問題などで冷え切っている日韓関係も当然知っているはずである。
おそらく彼らのおじいさんは大日本帝国支配下における強制的な政策を強いられていた世代であり、

・日本の名字を名乗らなければならない
・韓国語は話してはならない
・日本語を話さなければならない
・政治の主権は日本の軍部が掌握する
・行事の際は君が代を斉唱し、天皇を崇拝しなければならない

など幾多の暴政を経験してきた世代の孫に当たる。
当然君が代についても軍部の座学で学んできたことであろう、それを歌ってくれというのはただの興味本位なのか。それとも?

あまり深い意味は本当に無かったのかもしれないが、あれから数年が過ぎた今となっても忘れられない。



もうひとつ忘れられない事実がある。


ホテル1部屋に男4人が雑魚寝して夜を明かした日は2004年2月14日でした。


いや〜、すばらしいバレンタインだな〜 (-。-)y-゜゜゜



この写真は済州島の空港です。大抵の人は済州島に来るのに飛行機を使うのが普通であり、我々のように
節約のため、船で15時間くらいかけてやってくる日本人は稀だと思われる。
とにかく、空港にレンタカーを返して翌朝、思い出のたくさん詰まった済州島を離れた。


さらば、済州島よ・・・


前日さんざん雑魚寝したのに船の中でもまた雑魚寝。これは私が寝ている間にGAJIRO氏が撮ったものらしい。



そして次なる舞台となるのは木浦(モッポ)である。ここは大韓民国の中でもとりわけ日本の遺構が多く眠る町。そしてサンセットの美しい街だという。



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